が~ん・・・。
六月最後の日曜日も雨。
自分への還暦記念に県境踏破完遂をプレゼント、という目論見が・・・。(^^ゞ
なのでヒマに任せて、
なんで県境踏破なんてバカなコトをやってるのか、というあたりの説明なんぞを・・・。
実は、行き当たりばったりの行きついた先だったというハナシではあるのだが。
そもそも私が山へ登るようになったのは2004年の秋、刈込池の紅葉見物ついでに三ノ峰へとスニーカーのまま登りはじめ、上部ベンチまで行って時間切れ撤退となった山行?から。
山頂まであと少しにも見えたが、自分の力量もわからない状態なので渋々引き返した。
その時、三ノ峰から石徹白の山へと続く登山道を見て、ピーク同士を繋ぐ「縦走路」の存在に強く心惹かれるものがあった。
冬山も含めそれなりの経験値も高まったころ、滋賀県境でもある中央分水嶺の登山道を歩く「高島トレイル」の存在を知り、2009年8月完歩。
続けて.同じ滋賀県境分水嶺を歩く余呉トレイルに取り掛かり、並行して敦賀の三名山を冬季限定で繋ぐ敦賀トレイル(自分で勝手に名付けた)を2012年2月に踏破。
この頃から単独者の強い味方となるチャリ使用を本格化。
同じ年の6月には余呉トレイルも完歩。
そして8月には越美国境踏破に必須の沢登りを始めた。
初めての北アを含めた山行の幾つかが、南北ルートと呼ばれる焼岳と親不知の海を繋ぐロングコースの一部と知り、年一・二回の山行で伸ばし2013年10月に9年間をかけた踏破完了。
滋賀県境分水嶺を歩いたら次は岐阜県境分水嶺だな、と割と自然な流れで(?)越美国境に取り掛かった。
最難関レベルに全く完遂予定などは見当もつかなかったが、なんとか足掛け四年目にして2016年4月に完歩。
しかし終了を間際にして、ある方に言われた「福井県人の越前さんなら、福井から登って福井へ降りる山行で越美国境を歩いて欲しいなあ」の言葉を思い出すことに・・・。(^^ゞ
また、県境トレース最難関の越美国境に目途が立つと、このまま全県境踏破もアリか?
などと考え始めてしまった。
2016年12月、福井県最西端の正面崎突端を海面タッチ。
昨年5月、「福井から登って福井へ降りる山行」で繋いだ石川県境踏破に王手。
同じ5月、岐阜県境のうち、分水嶺「外」の県境石徹白を踏破。
そして11月には京都県境踏破、今年3月には岐阜県境を全部、6月には滋賀県境を踏破。
7月、最後に残った大聖寺川河口までを歩き、「福井から登って福井へ降りる山行」で繋ぐ福井県境完遂。(予定)
2007.4/08 能郷白山周回(県境踏破条件に合致した最初の山行)
2009.8/30 高島トレイル完歩
2012.2/11 敦賀トレイル踏破
2012.6/24 余呉トレイル完歩
2013.10/13 北ア南北ルート踏破
2016.4/24 越美国境分水嶺完歩
2016.12/04 全県境踏破を視野に「正面崎」海面タッチ
2018.5/01 石川県境に王手!
2018.5/26 県境石徹白完全踏破
2018.11/11 京都県境完全踏破
2019.3/10 岐阜県境完全踏破
2019.6/02 滋賀県境完全踏破
2019.7 石川県境完全踏破 (予定)
まあ、個人で県境踏破が凄いことなのかどうかはさて置いて、目標を少しずつ伸ばしていって結果的に福井県境全部を歩けてしまった・・・というところだろう。
そこへいくと40年前の福井山岳会さんによる県境踏破は、とても凄いことだと思う。
誰もやったことのない、というか誰もそんなことが出来るとは考えた事もない福井県境踏破。
全く何が起こるかもわからない状態での踏破宣言、しかも期限まで設定した上で大過なくやり遂げてしまったのだから恐れ入る。
初登頂とされる30年も前に、「そこに山があるから」とエベレストを目指したマロリーが登頂して帰ってきたくらい・・・とまでいうのは大袈裟かもしれないけど。
今の時代、エベレストの敷居は昔ほどの高さでは無いらしいが、福井県境踏破ってのはこの40年で挑戦した人間はいたのだろうか?
ちょっと気になるところではある。